2年生になるまで
2年生になり漢字が複雑になってきた事、読み方がいく通りもあり(音読み 訓読み)、プリントの宿題ではなくテキストを見て何度も漢字の練習を繰り返す宿題になった事 一気に困難な事が増えてきました
でも長男頑張ってます
もう少ししたら日記も宿題になる。。。 もう親子で大きな山がみえています
1年生の夏休みの1行日記 息子のは「あつかった」 「○○いった」と書くだけでしたが、たどり着くまでに何時間 書く事にも時間を要しました。。
困難はいっぱいのようだけど なんとか1年生は理解のある先生、環境に恵まれここまでやってきました。
今年1年生になったお子さんをもつ方でもしかしたらディクレシアかも?
毎日の平仮名の練習で泣きながら プリントをぐちゃぐちゃにしながら 親子で格闘している方の ちょっとした参考? 糸口になったら?とおもい私がしてきた事をまとめてみたいとおもいます。
〜その前に診断に至るまでをまとめてみます〜
我が子は私が絵画教室の先生だった事もあり あまりの不器用さ空間認識の弱さにきがついて早くから何かあるかな?とおもっていました。 もう毎日朝から暗くなるまで公園の主のように外で遊ぶ我が子につきあいながら ヘトヘトな毎日でした
字は読みたがらず お手紙交換もしたがりませんでした
絵本は好きでした 毎日2冊 寝る前に怒られるような事をされなければかかさずよんでいました。もちろん私が。。読みきかせですね。。
でも自分からは絶対によもうとしなかった。。。
基本 自然から学んだ事、体で覚える事を重要視していたので 字を教える事で感そのチャンスが減るのをもったいないと考えていた ちょっとシュタイナーよりの考えがあり 積極的には教えていませんでした
ところが教師だった主人の母 「パパと似ているから 少し字を早めに教えた方がいいかも」といってきました。
実際名前だけでも書こうとしない長男に不安をかんじ始めました
下の名前だけを平仮名で。。。。そこに行き着くまで 私は鬼になりました。市販の公文のテキストを主にあらゆる 平仮名学習法をためしました。
もうふざけているようにしかおもえなかった。 「ばかにしているの?」「背筋をのばさないからよ」「なんでかけないの?」 時には人参をぶら下げ 時には怒りをふるわせ 机にしがみつく日々が続きました。 本当にひどい母親だったと思います ちょうどそのとき次男のいやいや期が同時にあり それが激し過ぎで二重サッシにかえた窓をぴたりと閉めっぱなしにして 通気口もしめて生活していた(苦情がくるから)
ひどく暗黙な時期だったと思います
どうしてこんなに下の名前を書くのに半年もかかっているんだろう?訳が分からずネットをさまよい歩いていたとき NPO エッジの藤堂栄子さんの講演会が近くのイベントで開かれることをしりました。
旦那にも誰にも内緒でのぞきにいったとき 「あ!これだ 間違いない」とおもい興奮した事をおぼえています。
それから図書館で片っ端からディスレシア LDの本を読みあさり 確信しました。字を書く事を極端にいやがるようにさせてしまった反省とともに 二次障害をこれ以上おこさないように 支援を探しながら 診断を待ちながら 入学をむかえました。
そのとき読んだ本の中でもわかりやすかった本は。。。
図解 よくわかるLD(学習障害) 上野一彦
怠けてなんかいない ゼロシーズン 品川 裕香
LD教授(パパ)の贈り物 上野一彦
ディスレクシアでも大丈夫 藤堂栄子
入学してすぐにスクールカウンセラーと担任にはなして対応を探してました。
夏に発達診断にかかり始めて 11月に出るまで時間がかかりました。
その間に 長男はすっかり自信をうしない登校拒否をしはじめました。あれほど気をつけていたのに二次障害がではじめました。
待ってられない。 強い願いと状況から ディスレクシアに理解のある学習教室で週1回早退して通わせてもらえる事になりました。
かなり押せ押せで動きまくってここまでこぎ着けました
〜その間 自分で考えてやったり、グランマからおしえてもらった 支援方法を書いてみます〜
まずは連絡帳を書くのが苦手です
先生に話してわからない事は直接ききました。 またマスになってない行のみのノートはかきづらいので 横線を毎回引いて マスにしました。
毎回とはノートのどのページのどの行からかいたらいいかもわからなかったから。。 マスにして 日にちや フォーマット部分になるところには点線でなぞり書きができるようにしました。
後に自分だけ違う支援をされていることをいやがり不安がったためその支援は 連絡帳がぐちゃぐちゃになり始めたら 少し支援を入れ。。とくぐらいにしました。
忘れ物は頻繁です。宿題だけでもヘトヘトなので学校の支度までたどり着きません。 なので全部の教科を毎日もっていかせました。絶対必要であろうものはこっそり調べて入れておきました 他の事で自信をなくしているのでせめて席に着くまではフォローしてあげたいとおもいました。
あいうえお これはマスメの中でどこから書いていいのか 右にはらうのか ひだりにはらうのか? わかりません ディスグラフィアとディスプラクシア もあります つまり不器用で書字のこんなんがあるということです もう毎日大混乱 で泣きながらドリルとにらめっこ 消しすぎてテキストはぐちゃぐちゃ 筆圧調整ができないので 穴だらけのドリルに。。。
逆さ文字はあたりまえ 4分割に分かれたマスメの1つにかかれた小さな字だったり 極端に濃い筆圧の字 消えそうないらいよわよわしい字。練習している字とはまるっきり関係ない言葉をれんしゅうしていたり かき途中で書き終わっていた事になっていたり
親のほうが何度も書く練習は無理にさせなくてもいいと判断していましたが きちんとルールを守りたい みんなと同じように頑張りたいという思いがつよい長男は 書き終わらないと学校いけない といって泣きながらやっていました
どんなに特性に気がついても親子だと喧嘩になる時もありました
そんな時や 子供が気分を変えたい時はグランマにみてもらいました。
グランマにおしえてもらい実践している事は 間違える前にちょっとしたヒントをだすということ 四角のマスのどこから書いたらいいのかわからないときは 書き始めのぶぶんに 鉛筆で指差します 興奮しながら消すとぐちゃぐちゃになるので ちょこっとまちがえたところを落ち着いた時に 「指摘をしてここ消してかきなおす?」と本人のやる気をみてから 親がなおすとこだけきれいにけして書き直しさせました
完璧を求めない事 書き順はもう無視して とにかくニュアンスがあっていれば良し。。 とめ はね はらいは だんだん大まかな字がかけるようになったら 何度も書く練習の最後だけうまく収まるようにする それでオッケー めちゃくちゃほめ倒しました
音読もいやがりました かって読み とばしよみ 指摘されると自信をなくして 子供部屋にあがっていきます。まず親が読んで あとからいわせるかたちで 内容に親しんでから 読ませるくらいでオッケーにしました
次に1文節までよんだら交代 親子交互でよみました。二かい読めば1回は自分で全部読んだ事になります。唱和して、最後は1人で読めるようにもなります。
もの凄く疲れるようなので 宿題は御飯前 御飯後に分散もしました
先生に苦手な部分をはなして いろんな音が同じように耳に入ってきてしまう特性もあるので 席を一番前にしてもらっていました
本来宿題でもとめられていたことは これこれだけど 我が子はこんな形でちゃんとやってます をつたえました。先生もよく勉強をしてくれている方で ほめて支援をしてくれました。
字を書く事がいやで 知識をえる機会をうしなってはもったいありません とにかく読んでやる 読めるだけでもなったほしい そんな思いできました
さていろんなテキスト学習方法を探り 教材を自分で作ってみようと次は考えました
小池敏秀教授のLD児のためのひらがな 漢字支援 (個別支援に生かす書字教材)がとてもわかりやすかったです
ほんと同じディスレクシアであっても子供によりとっかかりになってくれるところは全然違います みみで覚える子もいれば 立体で覚える子と様々です
我が子はきちんとした信頼のおける小児精神科の先生にみてもらったので特性がみえてきました 耳からの短期的記憶からのばすのが有効に感じてます
平仮名練習でよかったテキストは
ひらがなれんしゅうちょう 特定非営利活動法人リヴォルヴ学校教育研究所 でした
〜診断を受けるべきかどうか〜
我が家の場合うけてよかったと私はおもいます
自尊心を失いやすい子だったから 母親も支援を必要としていたから
我が子の場合 立ち歩く事や暴力などはいっさいありません むしろきちんとルールは守りたいタイプ 。主にディスレクシアが主なる特性ですので 周りからみてもちょっとかわった普通の子です 同じような特性を持ってる子は同じ学年にも何人かいるかとおもいます
気がつかずに そのまま自分で工夫して乗り切れる子 もいるとおもいます
主人も診断は受ける必要はないとかんがえてます
自分で工夫すればいいのだから できなくてつらい思いも乗り切るくらい強くなれ。 自立心をつけたいという思いから 。。。。 また子供の可能性を信じてあげているのだとおもいます
また同じ特性を持った長男のいとこにあたる子を育っている兄夫妻も主人と同じ考えです。学校の先生に「どこか調べたもらった方が」といわれても 「うちの子にはいいところがありますから 本人がやりたい事を見つけてその時 本を読みたいとおもい自分で努力するまで待ちますから」とつたえて支援を断っているそうです
エジソンの母のように子供の可能性を信じ伸ばせるところは自由に集中させてあげる。
ともすればわたしのおこなっている支援は過保護かもしれません。こどもをもっと信じてあげられる大きな器になる必要も感じてます
配慮 気がついて見守ってあげることも大切なのかもしれません。
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