« テストはなんのためにあるの? | トップページ | それでもやる »

特別支援教育支援員養成講座うけてきました。

特別支援教育支援員養成講座を受けてきました。大雪の翌日
丸丸2日間の講習つかれました。 

ほとんどの支援員さんは公務員の非常勤雇用 たとえボランティアであったとしても
本業のあるわたしは実際支援員としてつくことはないかと思います。
ですが今の特別支援教育の現状をしり 学校と保護者と支援員さんとの関係性をまなぶことと そして家庭での対応に活用したいと思い参加してきました。

参加してとてもよかったです。また支援員はやはりきちんと研修を受け、きちんと対応を学んだ上でつかないといけないと感じました。

多くの重要なことをまなびましたが大切なこと忘れてしまわないように覚え箇条書き

支援とは
「ありのままをうけいれて つまずきをみきわめて どうゆうふうにやればできるのか手がかりをいっしょにみつける」ということ
「やってあげる たすけてあげる」のが支援ではないということ
みんなと活動をともにするうえでアプローチの仕方が違ってもいい。

できないということは価値がない訳ではない
できなことに対してチャレンジしている姿がすばらしいということ

みんな違ってみんないいというけど それを子供に納得させるのは難しいということ
クラスが育ち 子供たちが (家庭が)育っていく 一緒に成長してはじめて感じること
対象児童だけがこまているのではなく 不公平さをかんじているこにもフォローしてもらいことがあるということ 
これは次男に対しての対応で感じる部分ですが 長男の学習につきっきりでまってもらいたいときに「えらいね〜 ありがとね〜」というと「なんで ずるいよ」という感情をおしこめてしまうというはなしでドキっとさせられました。

今何をしているのか その時間の狙いを理解させることが重要

NGワード
「もっと〜しなさい」「今度こそ〜」「ちゃんとやりなさい」「なんでできないの」
「がんばりなさい」
どれも曖昧なことばです。 混乱させるだけ
マンツーマンで「あのさ〜」なんて相当な圧力 きつく叱るは(愛情込めて感情込めても) 圧力により能がとじてしまう
将来的な内容で脅すなんてありえない
無理にほめたって気分が乗らないなら無理ほめた位でうまくいたたら本当にラッキーな話

失敗からは学べない 

対処療法 繰り返し はだめ
話しかけ過ぎは刺激過多
関わり過ぎは刺激過多
私は 刺激過多で息子を混乱させてばかりでした(深く反省)

指シャブリや 洋服をかむこと 鼻いじり 体を前後左右に同じパターンで揺する
視線が宙に浮く (チック)

環境刺激の処理困難にいたっているんだということ
だから環境刺激をさけれるようにして処理困難をおこさせないように
スモースステップにして負荷の計算が支援の鍵になるということ
いままでもスモールステップを心がけていたつもりだけど
まだまだ環境整備 刺激をへらしてやること(一番の刺激はわたしかも)
が必要に感じた

息子の考える方向性に横やりを入れない 思考の柔軟性に欠如があるから
パニックになる 切り替えの猶予をあたえてあげる

わざとよくないことをする 
本人にとって何の得にもならない
きちんとやりたくてもできない事情があるのだ

ある部分の力が2〜3年遅れていたとしても3、4年で他の子に近づくことが多いそうです。対応を間違えると問題が大きくなる。(二次障害)
他児との差の大きいようじから4年生くらいまでの間は遅れて育つ部分にはみんなとは違う本人にあったハードルですすめたい。


とにかく心を安定させること 心をつぶさないこと

私は息子の心を潰してはいないだろうか?

« テストはなんのためにあるの? | トップページ | それでもやる »

育児」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ